夏目漱石『こころ』〜やさしい日本語プロジェクト〜[under construction]

原文; original was written in literary writing style around 1914.

やさしい日本語の文

私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚(はば)かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその 人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執(と)っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字(かしらもじ)などはとても使う気にならない。 私が先生と知り合いになったのは鎌倉(かまくら)である。その時私はまだ若 々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書(はがき)を受け取ったので、私は多少の金を工面(くめん)して、出掛ける事にした。私は金の工面に二(に)、三日(さんち)を費 やした。ところが私が鎌倉に着いて三日と経(た)たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はか ねてから国元にいる親たちに勧(すす)まない結婚を強(し)いられていた。

I always called that person ‘teacher’, so here I will just write ‘teacher’. I will not say their real name. This is not to cause any trouble for the world, but because it feels natural to me. Even when I think of that person, I immediately want to say ‘teacher’. It’s the same when I write something. I don’t want to use any awkward initials. I met the teacher in Kamakura. At that time, I was still a young student. I received a postcard from a friend inviting me to go to the beach, so I prepared a little money and decided to go. It took me two or three days to prepare. But, I had not been in Kamakura for even three days yet when my friend received a letter saying they had to come back home immediately because their mother was sick. they did not believe this reason and thought it was because their parents wanted them to marry someone from their hometown.

私はその人を常に先生と呼んでいました。だから、ここでも先生とだけ書きます。その人の本名は言いません。これは、世間せけんを困らせるためではなく、私にとって自然だからです。私はその人を思い出すときも、すぐ「先生」と言いたくなります。何かを書くときも同じです。よそよそしい頭文字などは使いたくありません。
私が先生と知り合ったのは鎌倉でした。その時、私はまだ若い学生でした。海水浴に行った友達から、ぜひ来いというハガキをもらったので、少しお金を用意して出して出かけることにしました。私の用意に、二、三日かかりました。でも、着いて三日も経たないうちに、私を呼んだ友達に、急に実家に帰れという手紙がきました。そこには母が病気だからと書いてありましたが、友達はそれを信じませんでした。友達は以前から故郷の親に結婚を強くすすめられていたからです。

彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心(かんじん)の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべき ところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固(もと)より帰るべきはず であった。それで彼はとうとう帰る事になった。

They were still too young to get married according to contemporary thinking, and they personally did not want to get married. So, during the summer vacation, they deliberately stayed away from the place where they should have returned and instead spent their time playing near Tokyo. They showed me a letter and asked me what to do. I didn’t know what to do, but if their mother was sick, then of course they should have returned home. So, in the end, they decided to go back.

彼は現代の考え方では、結婚するにはまだ若すぎました。しかも彼本人も結婚を気に入っていませんでした。それで、夏休みに帰るべき場所にわざと帰らないで、東京の近くで遊んでいたのです。彼は私に手紙を見せて、どうしようかと相談しました。私にはどうすればいいか分からなかったのですが、彼の母が病気だとすれば、彼はもちろん帰るべきでした。それで、彼は結局帰ることになりました。

したがって一人(ひとり)ぼっちになった私は別に恰 好(かっこう)な宿を探す面倒ももたなかったのである。 宿は鎌倉でも辺鄙(へんぴ)な方角にあった。玉突(たまつ)きだのアイスクリームだのというハイカラなものには長い畷(なわて)を一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十 銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。 私は毎日海へはいりに出掛けた。

So, as I was alone, I didn’t need to look for a place to stay. There was a lodging place in the countryside of Kamakura. It was a place that was too far away from new things like ice cream and billiards to easily reach them. Even if I went by car, it would cost 20 sen. But, there were many private cottages there. And, since the sea was very close, it was an ideal place for swimming. I went to the sea to swim every day.

だから、一人になった私は、宿を探す必要もなかったのです。宿は鎌倉のいなかにありました。アイスクリームやビリヤードのような新しいものには、簡単に手が届かないほどはなれたところでした。車で行っても、20銭はかかりました。でも、そこには個人の別荘がたくさんありました。そして、海がすごく近かったので、海水浴には最適な場所でした。私は毎日海へ泳ぎに出かけました。

古い燻(くす)ぶり返った藁葺(わらぶき)の間(あいだ)を 通り抜けて磯(いそ)へ下りると、この辺(へん)にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯(せんとう)のように黒い頭でごちゃごちゃしている事 もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑(にぎ)やかな景色の中に裹(つつ)まれて、砂の上に寝(ね)そべってみたり、膝頭(ひざがしら)を波に打たしてそこいらを跳(は)ね廻(まわ)るのは 愉快であった。 私は実に先生をこの雑沓(ざっとう)の間(あいだ)に見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋(かけぢゃや)が二軒あった。

As I passed through the old buildings and went to the beach, I couldn’t believe so many city people were living here. The beach was full of men and women who came to spend their summer vacation. Sometimes the sea was crowded like a public bath. I, who knew no one, enjoyed lying on the sand, getting my knees wet in the waves, and jumping around in such a lively scene. And, it was there that I found the teacher, amidst all those people. At that time, there were two shops on the beach.

古い建物の間を通り抜けて、海岸に行くと、このあたりにこんなにたくさんの都会の人が住んでいるのか、と思うくらい、夏休みを過ごしに来た男女で砂浜はいっぱいでした。時には海の中が銭湯のように混み合っていることもありました。知っている人が誰もいない私も、こんなに賑やかな景色の中で、砂の上に寝転がったり、波に膝を打たせて、飛び跳ねたりして楽しみました。そして、私は実は先生を、この人がたくさんいる中で見つけたのです。そのとき、海岸にはお店が2軒ありました。

私はふとした機会(はずみ)からその一軒の方に行き慣(な)れていた。長谷辺(はせへん)に大き な別荘を構えている人と違って、各自(めいめい)に専有の着換場(きがえば)を拵(こしら)えていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風(ふう)なものが必要なのであった。彼らはここで 茶を飲み、ここで休息する外(ほか)に、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹(しお)はゆい身体(からだ)を清めたり、ここへ帽子や傘(かさ)を預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れ はあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切(いっさい)を脱(ぬ)ぎ棄(す)てる事にしていた。

I would often visit one of those shops. Unlike people who own large cottages, beachgoers in this area do not have their own changing rooms, so these types of shops that provide communal changing rooms are necessary. Beachgoers not only drink tea and rest here, but also wash their swimsuits, wash the saltwater off their bodies after swimming, and leave their hats and umbrellas while swimming. I, who didn’t have a swimsuit, also left all my belongings at the store every time I went into the sea because I was worried that my other things might be stolen.

私はたまたま、そのうちの一軒の店に通っていました。大きな別荘を持っている人とは違って、このあたりの海水浴客は、自分たちの専用の着替え場所を持っていないので、共同の着替え場所を用意したこのようなお店が必要だったのです。海水浴客はここで、お茶を飲んだり、休憩したりする以外にも、水着を洗濯したり、泳いだあとの海水がついた体を洗ったり、泳いでる間、帽子や傘を預けたりします。水着を持っていない私も、他の荷物を盗まれる心配があったので、海に入るたびに、その店にすべてを置いていくことにしていました。

私(わたくし)がその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでこれから海へ入ろうとするところであった。 私はその時反対に濡(ぬ)れた身体(からだ)を風に吹かして水から上がって来た。二人の間(あいだ)には目を遮(さえぎ)る幾多の黒い頭が動いていた。特別の事情のない限り、私はついに先生を見逃したかも知れなか った。それほど浜辺が混雑し、それほど私の頭が放漫(ほうまん)であったにもかかわらず、私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴(つ)れていたからである。

私がそのかけ茶屋で先生みたとき、先生はちょうど着物を脱いで海に入ろうとしていたところでした。私は反対に、海から上がってきて、濡れた体を風で乾かしていました。二人の間にはたくさんの黒い頭が動いていました。特別の理由がなければ、私は先生を見逃してしまったかもしれませんでした。それほど海岸は混雑していて、私の頭もボーッとしていたのに、すぐに先生を見つけることができたのは、先生が一人の外国人と一緒だったからです。

その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否(いな)や 、すぐ私の注意を惹(ひ)いた。純粋の日本の浴衣(ゆかた)を着ていた彼は、それを床几(しょうぎ)の上にすぽりと放(ほう)り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿(は)く猿股(さる また)一つの外(ほか)何物も肌に着けていなかった。私にはそれが第一不思議だった。私はその二日前に由井(ゆい)が浜(はま)まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺(なが)めてい た。私の尻(しり)をおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍(わき)がホテルの裏口になっていたので、私の凝(じっ)としている間(あいだ)に、大分(だいぶ)多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と 腕と股(もも)は出していなかった。女は殊更(ことさら)肉を隠しがちであった。大抵は頭に護謨製(ゴムせい)の頭巾(ずきん)を被(かぶ)って、海老茶(えびちゃ)や紺(こん)や藍(あい)の色を波間に浮かして いた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼(め)には、猿股一つで済まして皆(みん)なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。

その西洋人の白い皮膚が、店に入るとすぐに私の注意を引きました。その人は着ていた純粋な日本の浴衣を、腰掛け台に置いたまま、腕を組んで海の方を向いて立っていました。彼が下着以外に何も身に着けていませんでした。それがまず不思議でした。私は二日前にも由比ヶ浜まで行って、砂の上に座って、西洋人が海に入る様子を長い間見ていました。私が座っていたところは少し小高い丘の上で、そのすぐ隣がホテルの裏口でした。だから、私がそこでじっとしている間に、たくさんの男性が泳ぎに出ていましたが、みんな胴や腕や股は隠していたことを覚えていました。女性はもっと肌を隠しがちでした。大抵は頭に水泳帽をかぶって、海老茶色や紺色、藍色の水着で泳いでいました。そんな様子を見ていたばかりの私の目には、下着一つだけで海に入る西洋人の姿はとても珍しく見えました。

彼はやがて自分の傍(わき)を顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言(ひとこと)二言(ふた こと)何(なに)かいった。その日本人は砂の上に落ちた手拭(てぬぐい)を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなわち先生であった。 私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿(うしろすがた)を見守っていた。すると彼らは真直(まっすぐ)に波の中に足を踏み込んだ。そうして遠浅(とおあさ)の磯近(いそちか)くにわいわい騒いでいる多人数(たにんず)の間(あ いだ)を通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳ぎ出した。彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻って来た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、 すぐ身体(からだ)を拭(ふ)いて着物を着て、さっさとどこへか行ってしまった。

彼はしばらくして自分のまわりを見て、そこにいた日本人に一言か二言、何か話しかけました。その日本人は砂の上に落ちた手ぬぐいを拾っているところでしたが、それを拾うとすぐに頭に巻いて海に向かって歩き出しました。その人が先生でした。私は好奇心がわいて、二人が海岸を歩いていく後姿をじっと見ていました。すると、彼らは真っ直ぐに波の中に足を踏み入れました。そして、泳いでいる人が多い遠浅の海で泳いでいる人たちのところを通り抜けて、広めの場所にくると、二人とも泳ぎ始めました。彼らの頭が小さく見えるまで、沖の方へ向かって行きました。それから、引き返してまた海岸に戻ってきました。かけ茶屋に帰ると、井戸の水も浴びないで、すぐに身体を拭いて、着物を着て、すばやくどこかへ行ってしまった。

彼らの出て行った後(あと)、私はやはり元の床几(しょうぎ)に腰をおろして烟草(タバコ)を吹かしていた。その時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。ど うもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人か想(おも)い出せずにしまった。 その時の私は屈托(くったく)がないというよりむしろ無聊(ぶりょう)に苦しんでいた。それで翌日(あくるひ )もまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋(かけぢゃや)まで出かけてみた。すると西洋人は来ないで先生一人麦藁帽(むぎわらぼう)を被(かぶ)ってやって来た。先生は眼鏡(めがね)をとって台の上に 置いて、すぐ手拭(てぬぐい)で頭を包んで、すたすた浜を下りて行った。先生が昨日(きのう)のように騒がしい浴客(よくかく)の中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急にその後(あと)が追い掛けたくなった 。私は浅い水を頭の上まで跳(はね)かして相当の深さの所まで来て、そこから先生を目標(めじるし)に抜手(ぬきで)を切った。すると先生は昨日と違って、一種の弧線(こせん)を描(えが)いて、妙な方向から岸の 方へ帰り始めた。それで私の目的はついに達せられなかった。私が陸(おか)へ上がって雫(しずく)の垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちゃんと着物を着て入れ違いに外へ出て行った。

彼らが出て行った後、私は元の腰掛け台に腰を下ろして、タバコを吸っていました。その時、私はぼんやりと先生のことを考えました。どうもどこかで見たことがある顔のように思ってしまうのです。しかし、どこで会った人なのか、どうしても思い出せませんでした。その時の私は、特に心配ごとがなくて晴れ晴れとしているというよりも、退屈のために気が晴れないで苦しんでいました。それで、翌日もまた先生に会った時間と同じ頃に見当をつけて、理由もないのに掛茶屋に出かけてみました。すると、西洋人は来なくて、先生一人だけが麦藁帽をかぶってやって来ました。先生は眼鏡をはずして、テーブルの上に置いて、すぐに手ぬぐいでを頭に巻いて、すばやく海岸を下りて行きました。先生が昨日のように騒がしい海水浴客の中を通り抜けて一人で泳ぎ始めた時、私は急に先生の後を追いかけたくなりました。私は水が浅い場所から、頭の上まで跳ねるくらいの深い場所まで来て、そこから先生を目印にして泳ぎました。すると、先生は昨日と違って、曲線を描いて、妙な方向から岸に向かって帰り始めました。それで私の目的は達成できませんでした。私が陸に濡れた手を振って掛茶屋に入ったとき、先生はすでに着物を着終わって、入れ違いに外へ出て行きました。

私(わたくし)は次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶(あいさつ)をする場合も、二人の間には起らなかった。その上先生の態度はむしろ非社交的であっ た。一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲がいくら賑(にぎ)やかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。最初いっしょに来た西洋人はその後(ご)まるで姿を見せなかった。先生 はいつでも一人であった。

私は次の日も同じ時間に浜へ行って、先生の顔を見ました。その次の日もまた同じことを繰り返しました。しかし、何かを話しかける機会も、挨拶をすることも、二人の間には起こりませんでした。その上、先生の態度はむしろ社交的ではありませんでした。一定の時間に周りを気にしない様子で来て、また周りを気にしない様子で帰って行きました。周囲がいくらにぎやかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見られませんでした。最初に一緒に来た西洋人も、その後はまったく姿を見せることがありませんでした。先生はいつも一人でした。

或(あ)る時先生が例の通りさっさと海から上がって来て、いつもの場所に脱(ぬ)ぎ棄(す)てた浴衣(ゆかた)を着ようとすると、どうした訳か、その浴衣に砂がいっぱい着いていた。先生はそれを落すために、後ろ向 きになって、浴衣を二、三度振(ふる)った。すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間(すきま)から下へ落ちた。先生は白絣(しろがすり)の上へ兵児帯(へこおび)を締めてから、眼鏡の失(な)くなったのに気 が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。私はすぐ腰掛(こしかけ)の下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出した。先生は有難うといって、それを私の手から受け取った。

あるとき、先生が海から上がってきて、いつもの場所に脱ぎすてていた浴衣を着ようとしたときに、その浴衣に砂がいっぱいついていました。先生は砂を落とすために、後ろ向きになって、浴衣を二、三回振しました。すると、メガネが腰掛けの隙間から床に落ちました。先生は気が付いたようで、すぐにそのあたりを探し始めました。私はすぐ腰掛けの下へ首と手を突っ込んでメガネを拾い出しました。先生はありがとうといって、メガネを私の手から受け取りました。

次の日私は先生の後(あと)につづいて海へ飛び込んだ。そうして先生 といっしょの方角に泳いで行った。二丁(ちょう)ほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広い蒼(あお)い海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外(ほか)になかった。そうして強い 太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜に充(み)ちた筋肉を動かして海の中で躍(おど)り狂った。先生はまたぱたりと手足の運動を已(や)めて仰向けになったまま浪(なみ)の上に寝た。 私もその真似(まね)をした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。

次の日、私は先生の後に続いて海に飛び込みました。そして先生と同じ方角に泳いで行きました。200メートルくらい沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話しかけました。広い青い海の表面に浮いているものは、私たち二人よりほかには、何もありませんでした。そして強い太陽の光が、目の届く限り水と山を照らしていました。私は自由と歓喜に満ちた筋肉を動かして海の中で踊り狂いました。先生もまた、ぱたりと手足の運動をやめて仰向けになったまま波の上に寝ました。私もその真似をしました。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けました。「楽しいですね」と私は大きな声を出しました。

しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は、「もう帰りませんか」といって私を促した 。比較的強い体質をもった私は、もっと海の中で遊んでいたかった。しかし先生から誘われた時、私はすぐ「ええ帰りましょう」と快く答えた。そうして二人でまた元の路(みち)を浜辺へ引き返した。 私はこれから先生と懇意になった。しかし先生 がどこにいるかはまだ知らなかった。 それから中(なか)二日おいてちょうど三日目の午後だったと思う。先生と掛茶屋(かけぢゃや)で出会った時、先生は突然私に向かって、「君はまだ大分(だいぶ)長くここにいるつもりですか」と聞いた。考 えのない私はこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。それで「どうだか分りません」と答えた。しかしにやにや笑っている先生の顔を見た時、私は急に極(きま)りが悪くなった。「先生は?」と聞 き返さずにはいられなかった。これが私の口を出た先生という言葉の始まりである。

先生は海の中で起き上がるように姿勢を正した先生は、「もう帰りませんか」と私をさそいました。体が比較的丈夫な私は、もっと海の中で遊んでいたかったのですが、先生から誘われたとき、すぐに「ええ、帰りましょう」と元気に答えました。そして二人でまた同じみちを浜辺へ引き返しました。このときから、先生と仲良くなりました。それから、二、三日過ぎたある午後のことでした。先生と掛茶屋でまた会った時、先生は突然私に「君はまだかなり長くここにいるつもりですか」と聞きました。何も考えていなかった私は、この質問に答えられるくらいの考えをもっていませんでした。それで「どうするか分りません」と答えました。しかし、先生がにやにや笑っている顔を見て、私は急にはずかしくなりました。「先生は?」と聞き返さずにはいられませんでした。これが、私が先生という言葉を使い始めた始まりでした。

私はその晩先生の宿を尋ねた。宿といっても普通の旅館と違って、広い寺の境内(けいだい)にある別荘のような建物であった。そこに住んでいる人の先生の家族で ない事も解(わか)った。私が先生先生と呼び掛けるので、先生は苦笑いをした。私はそれが年長者に対する私の口癖(くちくせ)だといって弁解した。私はこの間の西洋人の事を聞いてみた。先生は彼の風変りのところや 、もう鎌倉(かまくら)にいない事や、色々の話をした末、日本人にさえあまり交際(つきあい)をもたないのに、そういう外国人と近付(ちかづ)きになったのは不思議だといったりした。私は最後に先生に向かって、ど こかで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時暗(あん)に相手も私と同じような感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところ が先生はしばらく沈吟(ちんぎん)したあとで、「どうも君の顔には見覚(みおぼ)えがありませんね。人違いじゃないですか」といったので私は変に一種の失望を感じた。

私はその晩、先生の宿を訪ねました。宿といっても普通の旅館とは違って、広い寺の境内にある別荘のような建物でした。そこに住んでいるのは先生の家族ではないこともわかりました。私が「先生、先生」と呼び掛けるので、先生は苦笑いしました。私はそれが年上に対しての自分の口癖なのだと、言い訳しました。そして、私は西洋人の話を聞いてみました。先生は彼の変わっているところや、もう鎌倉にいないこと、そして日本人ともあまり交際をもたないのに、そういう外国人と仲良くなったのは不思議だという話をしました。最後に、私は先生に向かって、どこかで先生を見たように思うけれど、どうしても思い出せないと言いました。若い私は、その時、なんとなく先生も私と同じような気持ちを持っていないかと考えて、先生の返事に期待しました。しかし、先生はしばらく静かに考えたあとで、「どうも、君の顔には見覚えがありませんね。人違いじゃないですいか。」と言ったので、私は少しがっかりました。

私(わたくし)は月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を 引き上げたのはそれよりずっと前であった。私は先生と別れる時に、「これから折々お宅(たく)へ伺っても宜(よ)ござんすか」と聞いた。先生は単簡(たんかん)にただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。そ の時分の私は先生とよほど懇意になったつもりでいたので、先生からもう少し濃(こまや)かな言葉を予期して掛(かか)ったのである。それでこの物足りない返事が少し私の自信を傷(いた)めた。

私は月末に東京へ帰りました。先生が鎌倉を引き上げたのは、それよりもずっと前でした。私は先生と別れる時に、「これから時々お宅へ伺ってもよろしいでしょうか」と聞きました。先生は短く、ただ「ええ、いらっしゃい」と言っただけでした。その時の私は、先生とかなり仲良くなったつもりでいたので、もう少しやさしい言葉を期待していました。それで、その簡単すぎる返事が、少し私の自信を傷つけました。

私はこういう事でよく先生から失望させられた。 先生はそれに気が付いているようでもあり、また全く気が付かないようでもあった。私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安に揺(うご) かされるたびに、もっと前へ進みたくなった。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。私は若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こう とは思わなかった。私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのか解(わか)らなかった。それが先生の亡くなった今日(こんにち)になって、始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである 。先生が私に示した時々の素気(そっけ)ない挨拶(あいさつ)や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。傷(いた)ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値 のないものだから止(よ)せという警告を与えたのである。他(ひと)の懐かしみに応じない先生は、他(ひと)を軽蔑(けいべつ)する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。

私はこういう事で、よく先生に失望させられました。先生はそれに気づいているようでもあり、また全く気づいていないようでもありました。私は小さな失望を繰り返しながら、それでも先生から離れようという気持ちにはなれませんでした。むしろそれとは反対に、不安を感じるたびに、もっと前へ進みたくなったのです。もっと前へ進めば、私が期待するものが、いつか見事に目の前に現れてくるだろうと思っていました。私は若かったのです。けれども、すべての人間に対して、私の若さがこんなに素直に働いたわけではありません。私はなぜ先生に対してだけこんな気持ちになるのか、わかりませんでした。それが先生が亡くなった今になって、始めてわかってきました。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのです。先生が私に時々した素っ気ないあいさつや、冷たく見える動作は、私を遠ざけようとする嫌な気持ちの表現ではなかったのです。傷ついていた先生は、自分に近づこうとする人間に、自分には近づくほどの価値はないんだと警告していたのです。誰かが自分と仲良くしようとすることに、こたえなかったのは、先生がその人を軽蔑するよりも前に、まず自分を軽蔑していたからのようにみえます。

私は無論先生を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。帰ってから授 業の始まるまでにはまだ二週間の日数(ひかず)があるので、そのうちに一度行っておこうと思った。しかし帰って二日三日と経(た)つうちに、鎌倉(かまくら)にいた時の気分が段々薄くなって来た。そうしてその上に 彩(いろど)られる大都会の空気が、記憶の復活に伴う強い刺戟(しげき)と共に、濃く私の心を染め付けた。私は往来で学生の顔を見るたびに新しい学年に対する希望と緊張とを感じた。私はしばらく先生の事を忘れた。 授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、また一種の弛(たる)みができてきた。私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室(へや)の中を見廻(みまわ)した。私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。私はまた先生 に会いたくなった。

私はもちろん先生を訪ねるつもりで、東京へ帰って来ました。授業が始まるまでにはまだ二週間の日数があるので、その間に一度行っておこうと思いました。しかし、帰ってから二日三日とたつうちに、鎌倉にいた時の気分がだんだん薄れてきました。そして、さらに大都会の空気が強い刺激と共によみがえってきて、私の心を夢中にしました。私は道で学生の顔を見るたびに、新しい学年への希望と緊張を感じました。私はしばらく先生のことを忘れていました。しかし、授業が始まって、一ヶ月くらいたつと、私の心は少しずつ落ち着いてきました。私は何かが足りないような気持ちで道を歩き始めました。何かが欲しい様子で、部屋を見回しました。その時、私の頭に、先生の顔が浮かびました。私は、また先生に会いたくなりました。

始めて先生の宅(うち)を訪ねた時、先生は留守であった。二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。晴れた空が身に沁(し)み込むように感ぜられる好(い)い日和(ひより)であった。その日も先生は留守であった。鎌倉 にいた時、私は先生自身の口から、いつでも大抵(たいてい)宅にいるという事を聞いた。むしろ外出嫌いだという事も聞いた。二度来て二度とも会えなかった私は、その言葉を思い出して、理由(わけ)もない不満をどこ かに感じた。私はすぐ玄関先を去らなかった。下女(げじょ)の顔を見て少し躊躇(ちゅうちょ)してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまた内(うち)へはいった。すると 奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。

初めて先生のおうちを訪ねた時、先生は留守でした。二度目に行ったのは、次の日曜日だと覚えています。晴れた空が心地よい日和でした。その日も先生は留守でした。鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、いつもはたいてい家にいると聞きました。外出が嫌いだということも聞きました。二度来て二度とも会えなかった私は、その思い出して、理由もない不満をどこかに感じました。お手伝いさんの顔を見てためらいながらそこに立っていました。私が名刺をわたしたことを覚えていたお手伝いさんは、私を待たせておいてまた家の中へ入っていきました。すると、奥さんらしい人が代わりに出てきました。美しい奥さんでした。

私はその人から鄭寧(ていねい)に先生の出先を教えられた。先生は例月その日になると雑司ヶ谷(ぞうしがや)の墓地にある或(あ)る仏へ花を手向(たむ)けに行く習慣なのだそうであ る。「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます」と奥さんは気の毒そうにいってくれた。私は会釈(えしゃく)して外へ出た。賑(にぎや)かな町の方へ一丁(ちょう)ほど歩くと、私も散歩がてら 雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。それですぐ踵(きびす)を回(めぐ)らした。

私はその人から丁寧に先生の出かけた先を教えられました。先生は毎月その日になると雑司ヶ谷の墓地にある、ある墓へ花をそなえに行く習慣なのだそうです。奥さんは「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます」と気の毒そうに言ってくれました。私は奥さんに会釈して外へ出ました。賑やかな町の方へ100メートルほど歩いているうちに、私も散歩として雑司ヶ谷に行ってみようと思いました。先生に会えるか、会えないかという好奇心も動きました。それで、すぐに雑司ヶ谷へと行き先を変えました。

私(わたくし)は墓地の手前にある苗畠(なえばたけ)の左側からはいって、両方に楓(かえで) を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその端(はず)れに見える茶店(ちゃみせ)の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡(めがね)の縁(ふち)が日に光るまで近く寄って行った。そう して出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。 「どうして……、どうして……」

私は墓地の手前にある畑の左側から入って、両側に楓を植えている広い道を奥へと歩いていきました。すると、そのはずれに見える茶店の中から先生らしい人が、出て来ました。私はその人のメガネの縁が光るのが見えるくらいまで近づいて行きました。そうして、いきなり「先生」と大きな声を掛けました。先生は突然立ち止まって私の顔を見て、「どうして……、どうして……」と言いました。

先生は同じ言葉を二遍(へん)繰り返した。その言葉は森閑(しんかん)とした昼の中(うち)に異様な調子をもって繰り 返された。私は急に何とも応(こた)えられなくなった。 「私の後(あと)を跟(つ)けて来たのですか。どうして……」 先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中(うち)には判然(はっきり)いえ ないような一種の曇りがあった。

先生は、同じ言葉を二回繰り返しました。その言葉は、静かな昼間に、異様な調子で繰り返されました。私は急に何も言葉が出てこなくなりました。「私の後を、つけて来たんですか。 どうして……」先生の態度は、むしろ落ち着いていました。声はむしろ沈んでいました。けれども、表情には、はっきり言えないような曇った様子が見えました。

私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。 「誰(だれ)の墓へ参りに行ったか、妻(さい)がその人の名をいいましたか」 「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」 「そうですか。——そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」

私は、どうしてここに来たのかを先生に話しました。「誰の墓へ参りに行ったか、妻はその人の名前を言いましたか」「いいえ、そんなことは、何もおっしゃいませんでした」「そうですか。——そうですね、それは初めて会った人に言うはずがないですね。言う必要がないんだから。」

先生はようやく得心(とくしん)したらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるで解(わか)らなかった。 先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々(イサベラなになに)の墓だの、神僕(しんぼく)ロギンの墓だのという傍(かたわら)に、一切衆生悉有仏生(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)と書いた塔婆(とうば)などが建 ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈と彫(ほ)り付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。

先生はようやく安心したような様子でした。しかし、私にはその意味がまったく分かりませんでした。先生と私は墓の間を通って、通りに出ようとしました。そこには、イサベラ何々の墓だとか、神僕ロギンの墓だとか言う墓の横に、一切衆生悉有仏生と書かれた仏塔などが建ててありました。全権公使何々と書かれたものもありました。私は、安得烈と彫ってある小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょうか」と先生に聞きました。「アンドレとでも読ませるつもりなのかもしれませんね」と言って先生は苦笑しました。

先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽(こっけい)もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石(はかいし)だの細長い御影(みかげ)の碑(ひ)だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、 始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面目(まじめ)に考えた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。

これら様々な様式の墓標を見て、面白がったり皮肉を言ったりする私の態度に興味がないようでした。私が丸い墓石だとか、細長い御影石の碑だとかと指さしながら、しきりに何か言いたがる様子を、始めのうちは黙って聞いていましたが、最後には、「あなたはまだ死という事実をまだ真面目に考えた事がないようですね」と言いました。私は黙りました。先生もそれ以上何も言いませんでした。

墓地の区切り目に、大きな銀杏(いちょう)が一本空を隠すよ うに立っていた。その下へ来た時、先生は高い梢(こずえ)を見上げて、「もう少しすると、綺麗(きれい)ですよ。この木がすっかり黄葉(こうよう)して、ここいらの地面は金色(きんいろ)の落葉で埋(うず)まるよ うになります」といった。先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。

墓地の区切り目には、大きな銀杏が一本、高く空を覆って立っていました。先生がその下に来た時、高い梢を見上げて「もう少しすると、きれいですよ。この木がすっかり紅葉して、この地面が金色の落葉で埋まるようになるでしょう」と言いました。先生は毎月、必ずこの木の下を通っていました。

向うの方で凸凹(でこぼこ)の地面をならして新墓地を作っている男が、鍬(くわ)の手を休めて私たちを見ていた。私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。 これからどこへ行くという目的(あて)のない私は、ただ先生の歩く方へ歩いて行った。先生はいつもより口数を利(き)かなかった。それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行った。 「すぐお宅(たく)へお帰りですか」 「ええ別に寄る所もありませんから」

向う側で凸凹の地面をならして新しい墓地を作っている男が、手を休めて私たちを見ていました。私たちはそこから左へ曲がってすぐ街道へ出ました。目的のない私は、ただ先生が歩く方へ歩いて行きました。先生はいつもよりあまり話しませんでしたが、私はそれほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行きました。「すぐお宅へお帰りですか」「ええ、別に寄る場所もありませんから」

「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。 「いいえ」 「どなたのお墓があるんですか。——ご親類のお墓ですか」 「いいえ」 先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はそれぎりにして切り上げた。すると一町(ちょう)ほど歩いた後(あと)で、先生が不意にそこ へ戻って来た。 「あすこには私の友達の墓があるんです」 「お友達のお墓へ毎月(まいげつ)お参りをなさるんですか」 「そうです」 先生はその日これ以外を語らなかった。

「先生のお宅の墓地は、あそこにあるんですか」と私が尋ねたところ、「いいえ」と答えられました。「どなたのお墓があるんですか。——ご親類のお墓ですか」と続けて尋ねたのですが、先生はこれ以外に何も答えませんでした。私はその話を切り上げ、100メートルほど歩いた後、先生が不意にその話題へ戻って来ました。「あそこには私の友達の墓があるんです」「お友達のお墓へ毎月お参りをなさるんですか」と尋ねたところ、「そうです」と答えられました。先生はその日これ以外は何も語りませんでした。

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